2013年御翼7月号その1

ユーモアは心を開く

 

 苦難にある人に対して私たちは、上から励ますのでもなく、下から支えるのでもなく、寄りそう事が大切だと、柏木哲夫医博は言う。寄りそい人に求められる人間力(人間力=人柄、人望、など)

 一、聞く力 二、共感する力 三、受け入れる力 四、思いやる力 五、理解する力  六、耐える力
 七、引き受ける力 八、寛容な力 九、存在する力 十、ユーモアの力

 ルカ四章十八節には、「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」とある。「油を注ぐ」とは、神のために用いられるように区別(聖別)される、という意味である。
 そして、聖別された者には、主の霊が、福音を宣べ伝えるために、「人間力」を備えてくだるのであり、そのロールモデル(模範)となるのが、私たちの主イエスなのである。

 柏木先生は、「良き生」とは、感謝できる生、散らす生(才能、時間、お金を与える人生)、ユーモアがある生だという。ドイツのユーモアの定義に、「にもかかわらず笑う」、「愛と思いやりの現実的な表現」というのがある。これは、上智大学のデーケン先生から柏木先生が学ばれたことで、辛く、悲しい状況にもかかわらず笑うことができれば素晴らしい。才能、知識、時間をユーモアの精神を発揮して人のために、愛と思いやりの現実的な表現としてユーモアを提供できたらよい。

 以下は、上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生の『よく生き よく笑い よき死と出会う』(新潮社)、そして柏木先生の『使命を生きるということ』からである。
 日本ではユーモアとジョークを同じ意味で使う人が多いのですが、私ははっきり区別します。ジョークは、頭のレベルの技術です。テレビのドタバタタレントやお笑い芸人の振りまく笑いは、ほとんどがジョークと言えましょう。言葉の上手な使い方やタイミングの良さで笑わせようというジョークは、ハウ・ツーで学ぶこともできますが、あてこすりやきついジョークは使うべきではありません。ある人をきついジョークでからかった場合、まわりの人は笑うかもしれませんが、言われた当人は傷つきます。これはユーモアからは、ほど遠いものです。
 ユーモアは、心と心のふれあいから生まれます。相手に対する思いやりが、ユーモアの原点なのです。私たちは思いやりに満ちたユーモアによって、どんなところでも和やかな雰囲気を作り出せると思います。私は人生の潤滑油としてのユーモアの役割を、もう一度、すべての人に見直してほしいと考えています。      
 ユーモアによって生み出されるのは、穏やかな笑いです。笑うことによって、人間は多くのストレスを緩和できます。最近の研究によれば、ユーモアにはガンを寄せ付けない効果があるとさえ言われています。テキサスにあるカトリック系の病院では、「毎日一回は患者を笑わせましょう」という運動を奨励していました。すると、その病院の入院患者は他の病院より早く退院できるようになったというのです。人はユーモアがあればあるほど、人間らしく生きられるのだとも言えましょう。ユーモアと笑いは、周囲の人たちにやさしい愛と思いやりを示す上でも、すぐれた効果があるのです。

 柏木先生が米国留学中に通っていた教会の牧師は、必ずメッセージの前にユーモアを提供し、皆を笑わせていたという。「皆さんに笑っていただくと、魂の扉が開くのです。その開いたところに、私は一番語りたいことを語るのです」と牧師は言っていた。私たちは、イエス様のように、人に対して愛と思いやりをもったとき、ユーモアをも含む、人々に福音を宣べ伝える知恵が与えられる。

 

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